Louis Émond (ル
イ・エモンド)、(1969
年)11
月9日リビ(Lévis)
で生まれる、作家、ケベック(Québec)出
身。
著者の経歴
ルイ・エモンドはケベック市(Quebec City)の
プチ・セミナ(神学校)で国際バカレロア資格を取得した。神学校ではモニク・セガール(Monique
Ségal)や
アルベル・ダラー(Albert Dallard)
らに師事する。この時期に作家ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)の
作品にであい、長年発禁であったジーン・シャル・アルビー(Jean-Charles
Harvey)の
社会風刺小説、Les demis-civilisésに
ついての論文を執筆した。
マギル大学(Mcgill
University)物
理学部オナーズ・プログラム(成績優秀者を対象したコース)に合格するが、当該コースでの勉学意欲を失い、学生生活の大半を図書館で過ごす。図書館ではフ
レドリック・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)や
ミラン・クンデラ(Milan Kundera)、
ステファヌ・ラルメ(Stéphane Mallarmé)ら
の作品を読みふけった。
その後、モントリオール大学(University of Montréal)で
政治学と美術史を短期間専攻し、ラバル大学(Laval University)の
文学部に入学する。しかし、学部での講義に物足りなさを感じ1年で大学をやめ20歳のときに処女小説、Le
manuscript(The
Manuscript)
の執筆に専念する。The Manuscriptの
出版には執筆から12年かかり、その間著者は数多くの職につき生活を支える。訴訟事件に2度巻き込まれ、治安紊乱(びんらん)の罪で一晩留置所に送りこま
れた経験もある。200回以上も出版社に拒否された後、「国家の文学界は彼の計り知れない才能を必要としている」と高名な書評家レジナルド・マルテル(Réginald
Martel)
氏がLa
Presse (Montreal) 誌
で絶賛してから一躍マスコミに注目される存在となった。著者の小説はウベール・アカン(Hubert Aquin)と
比較され、放蕩的なトーンを持つ観察眼はデニ・ディデロ(Denis Diderot)の
精神に反響するものだと称された。Hocと「my character」
は文学界において認識される存在になった。カナダ議会の美術奨学金(Canada Council
for the Arts)を
獲得するが、マスコミにさらされる生活より静かな孤独を好み、国を出て2年間東南アジア(Southeast Asia)で
過ごす。帰国後瞑想的な文体で描写した2冊目の小説Le conte (The
Tale)を、
多作の作家であり出版者でもあるビトー−レビー・ブリュー氏(Victor-Lévy
Beaulieu)に
提出する。ブリュー氏はこの小説に、イブ・テリオー(Yves Thériault)と
モーリス・ブロンショ(Maurice Blanchot) ら
との類似点を見出しすぐに気に入り、最初の小説の版権を買い取って、2冊目の新作も出版した。
引用から
Le manuscrit (The
Manuscript)
…そ
れは世界の特定しえないどこかであった。なぜなら、つねに同じ観念的空間が私たちの周りを取り巻いているのが現実だから。(III、V)
い
まものごとが少しだけ明確にみえるようになった,忘
れたくないと思う。The Manuscriptは
私の一部である。My characterの
生命はこのなかで存在するのだ。今私が一番思い出すのはこのストーリーであり,ス
トーリーの展開であり、読者が読んだこと,で
ある。(エピローグ)
最
初、この終焉は未熟なものに感じた,な
んの予告なく来ることに,し
かしその話が知れ渡るにしたがって、どのみち死はもっと早く訪れていたかもしれなかったと思う者もいた。(L)
無
の最初からもう一度始めたら何が見えるだろう?それは困難への道であり、ときには無慈悲であり、答えを見つけるのは容易ではない道だろう、もしも答えが存
在するのであればだが。
作品について
著
者の処女小説,The
Manuscript (2002),は
全観念を破壊することからはじまる人類の状況についての瞑想の出発点である。すなわち「長い間私は最初からやり始めなければならないと思っていた、すべて
を最初から始めなければならない」と語り手はいっている。この小説は自身の転落という問題に執着し、その問題を客観的な立場で見つめようと試みようとする
が、しだいに平静さ、客観性、自身との距離を失っていくひとりの男の話である。
2 作目の小説,The Tale (2005), は 雪の日に外出し、それがいつしか内面の旅へと変わっていく話。出生の出来事が疑惑や精神の模索へと導かれる生命変化探検のメタファーになっている。著者は ここで「一見神聖に見える冒涜への探求」の観念を検証していく。